プロフィール

サイト管理人のイマーキーです。
1991年12月生まれ。目標も夢もなく適当に情報系の大学に進学。プログラミングが苦痛で畑違いの工業系の中小企業に就職。約5年間に良くも悪くも様々な経験をし、あることがきっかけで退職を決意。現在は会社に属することなく生きていく道を作るための行動をしています。

・1991年12月生まれ
・B型
・広島在住
・趣味:消しゴムはんこ、料理、読書、アニメ、ゲーム

私の過去

「自分の頭で考えない」という楽をしてきた

私は、子供のころは自分を表現することが苦手でした。
内向的な性格+自己肯定感の低さから、自分の感情を…特に怒りや悲しみといった
ネガティブな感情を表に出すと泣いちゃってました。

今思うと、
他人に否定されることが怖く、自己保身に走っていたのでしょうね。

両親は仲が悪く、反抗する相手も勇気もなく。
結局、反抗期というものは学生時代にはなかったです。学生時代には

そんな性格だったので長いものには巻かれるし、強く言われたらたとえ相手が
100%間違っていても譲ってしまうことが何度もありました。
そんな自分をぶん殴ってやりたいね。



大学受験では、家庭の経済状況から「地元の公立」か「成績優秀で学費免除の地元の私立」の
2択でした。特にやりたい勉強も仕事も無かったので「情報化社会だから」という
適当な理由で地元の情報系公立と滑り止めの私立を受けました。

見事公立に受かったが、必修かつ目的だったプログラミングでつまずく。
「なんとなく」で入ったため、勉強するモチベーションはありません。
かといって中退する勇気もなく、友人の力(コピペ)を借りて突破。
IT関係の仕事には就かないことに決め、いざ就活。

今までの人生と自分の興味から、「もの作り系」の地元の会社に的を絞り無事内定。
失礼を承知で言うが、箸にも棒にも引っかかった中で1番マシと思われる所に行きました。

そんな心構えなので、入社前に知識を入れる気は全くナシ。
卒業旅行とゲームやアニメで潰す学生時代最後の休み。

とんだゴミ人間だと、自分でも思います。


さて、ここまでをまとめると、
自分でまともに考えることもせず、意見を言うこともなく、困難からは逃げ、夢や目標はなく、 ただただ他人の言うことに流されるロボット人間。
もっと言えば、「自分の頭で考えない」という楽をしてしまっていました。
まぁ、当時の自分が気付くはずもなく。


しかし、安心して下さい。
就職後、この愚か者は手痛いしっぺ返しを食らいます。

就職後、ある事件をきっかけに気付いた「楽をしたツケは帰ってくる」

さて、入社式や現場研修、その他もろもろが終わり配属へ。

私は部品や工程表などを作る「設計課」に配属。


























されませんでした。
「1年間現場で修行してくれ(要約)」
ということで、現場(会社のメインとなる課)で製品づくりを学ぶことに。



現場の感想は「教える気あるのかな?この人たち」です。
・10分の話を2時間に引き延ばす「話激長おじさん」。
・課長より権力のある「係長様」。
・何も決まらず、係長様の機嫌を悪くするだけの無駄な会議。
・分からないので聞く→考えろ。考えて失敗→聞けのダブスタ攻撃
・言うことが180度違う係長様と教育者の板挟み…

私を教育してくれた嘱託の人は
「お前はもう少ししたら現場じゃなくなるから、どこまで教えればいいか分からん」
と言っていたので、上司と部下の連携も機能していなかったんでしょうね。
他にもありますが割愛します。

何度泣いたか、辞めたいと思ったかわかりません。
私の希望は「次の4月で現場とおさらばできる」の1点だけでした。


一方、私はというと、必要な勉強などは一切していませんでした。
現場に残ろうものなら、係長様か話激長おじさんに捕まります。
私はこの2人のする話を母に「世界一どうでもいい話」と言っていました。
そんな世界一どうでもいい話(2時間)でメンタルを削られたことがあるのでさっさと帰宅。

自宅に着いたら食事→風呂→アニメ→ゲーム。
「勉強?疲れたから明日or休日にやるわ」
で一切手付かず。いや、手付けず。


今思うと、
他人のことをとやかく言う前に、自身でできる範囲の努力をしろ。
と言いたいですね。



月日は流れて3月。突然、設計と現場の課長から呼び出し。
異動が早まったのかと思ったら、


「プレス課の3人うち2人が退職するからそっち行って。」


?」

異動は異動ですが別の課でした。
正直嬉しさの方が勝っていましたね。

「よっしゃ!地獄から解放や!」

程度にしか思っていなかったです。



というわけでさっそくプレス課へ。
メンバーは3人。おじさん、お兄さん、お姉さん。
後ろ2人が退職し、退職日までお兄さんがメインで私を教育してくれました。

お兄さんは3月末、お姉さんは4月中盤で退職し、おじさんと2人きりに。


お姉さんが退職した翌週にとある製品を加工することになったのですが、
私は初めて加工する品物でした。何に使われるか、傷などの外観はどの程度OKなのか、
寸法の測り方など全てが分からない。

おじさんは1通り説明した後、
「忙しいから相手していられない」
と言い残し自分の作業へ。

間がいいのか、悪いのか、上司がちょこちょこ様子を見に来ていろいろ
アドバイスをしてくれました。
「こんなん、製品の内部に使われるもんだから、キズとか少々ええわ」

その少々が分からないんですけどね!
と思いつつ不良品を多少作りながらなんとか要求された数+予備分が完了。

製品を作り始めてから終わるまで1週間。
おじさんは1度も様子を見に来ることもなく、アドバイスもしなかったです。(ここ重要)




お待たせしました。ここで事件が発生します。

この会社では、毎日定時の10分前に終礼と言って、その日の出来高や明日の予定を確認する
時間を作っています。終礼→15分休憩→残業という流れです。上司も参加します。

例の製品が終わった日の終礼後、終礼が終わり上司が作業を出て行った瞬間。
「お前、こんなもんに1週間かけてどういうつもりや!」
「お前、残業の作業終わるまで帰さんからな!」

とほぼ脅迫に近いことを顔を真っ赤にしながら言い残したおじさんはタバコへ。

私も外に出てベンチで休憩。
(1度も様子見も声かけもしなかったのに?)
(相手できないって言ってたからこちらも声かけなかったのに?)
(用途も立ち回りも分からない人間を放置したくせになんなん?)
(なんでこんな脅迫めいた事言われなあかんの?)


ええ、もう泣きましたね。隣にいた1代上の先輩の存在も無視して泣きましたね。
別の課の課長がよこを通り過ぎたように見えたけど無視して泣きましたね。


その日の夜、家に帰って母に退職の意向を伝える。
翌日、上司が出張で不在のため係長に退職の意向を伝える。
その日の夜、単身赴任で県外の父から電話。一言目に
「辞めるのはいいけど、車のローンどうするん?」

そーですか。そーですか。
自分の子供の心配より、自分が車のローン払わされるのかどうかが優先ですか。
私、車買うときに「一括で払えるけど、全貯金使うことになるから、しばらくローンにする」
と明言していたんですがね。

「どうした?」とか「何があった?」よりそちらを気にしますか。そーですか。

この事件をきっかけに
・他人を信頼しても、アテするのはやめよう
・自分の身は自分しか守れない
・自分で考えて行動しなければ、年を取っただけのバカに支配される
・いつでも辞めてやってもいい。そういう心持ちでいこう

など、ほかにも色々心に決めました。

しかし、次のアテもなければ貯金もない。
翌日、出張から帰ってきた上司と面談。恥を忍んで退職撤回の意向を伝える。
「お前の行動は幼稚園児が駄々こねてるのと一緒」
「大企業に行けなかったくせに」

と、ツッコみたくなる発言は少々あったものの撤回は承認される。

それからは大分意識が変わりましたね。
手始めに、おじさんの言いなりを脱却するには?を考えました。
本人か上司か忘れたけど、
「お兄さんが優秀だったから、おじさんは基本的に何もしてなかった」
という情報を知る。


「えっ?そんなんが許さんとか言ってたん?」
真っ先に浮かんだ言葉です。


しかし、これはチャンスでもありました。
「ということは、先に経験積んだら対等には近づけるやん!」

それからは、できるだけやったことのないことに挑戦し、
時間をかけておじさんを追い抜くよう心掛けました。



そういう日々を過ごす中で、今までの自分がどれほど楽をしていたか、
考えていなかったか
を思い知らされたように今は感じます。

もっとよく考えて作業していれば、1週間もかけずに終わってたかもしれません。
勇気を出しておじさんに色々聞いておけば、おじさんも感情的にならずに
済んでいたかもしれません。

ここで言いたいのは、どちらかが100%悪いということではなく、
お互いに悪い部分はあったよね?ということです。
私の場合、思考停止とやる気のなさ、話しかける勇気が無かった。

これらは今までの自分が作り出してきたもの、
つまり、楽をしてきたツケが形になって出てきたのだと思います。

教育されつつ教育するという立場へ

そんな日々を過ごす中、ある情報が。

「外国人を入れる動きがあるらしい」

会社があるのは工業地帯で、通勤中やコンビニでよく外国人を見かけていました。
「とうとう、うちにも来るのか~」と話半分で聞いていたら
本決まり→9月末から働くからよろしく^^と上からの通達。

こうやって、外国人研修生3人(全員女性)が入社。私は異動半年で2人の教育係に。

教える知識・経験ほぼないんですけどね?

異動半年でそれなりに経験したとはいえ、ほんの1部分を1回きり。
まだやったことのない製品の方が多い状態の人間が教育者ですよ。

研修生はというと、日常的な会話を片言で少しできるくらい。
もちろん専門用語や方言を理解できるはずもなく。


どのように教育したかは記事にします。
教育されつつ教育するという稀有な立場から得たものは皆さんの役に立てると思います。

退職まで

しばらくして、またまた事件が発生します。
70代のじーさんと大ゲンカです。
平成の終わり間際にですよ。昭和かよ。

前後の記憶が曖昧なんですよね。
言い争い、胸倉捕まれ押される、自分の帽子が飛ぶ、じーさんを殴る、課長に抑え込まれる

誓ってこちらから手は出してないです。そんな勇気あったらとっくに辞めてます。

途中の記憶が抜けててどういう経緯だったか思い出せませんが、順番はこうです。
今思えば、「上司に相談すればよかったじゃんwww」と思うのですが
営業からの急げのプレッシャーでそんな考え浮かびませんでした。


別室に隔離されたときこんなことを思いました。
別に好きでもない会社。仕事。やる気もないし、将来的に発展していくとも思えない。
この会社にしがみ付く必要なくない?何より他人の顔色を伺うのを辞めないと心が死ぬな。
こんな所で一生を終えたくないなー。これからは会社に属さず自分で稼いでいこう。


辞めるか。

退職を決意した瞬間です。一連の事件は私が引き起こしたものなんですけどね。


退職を決意したものの、まだ研修生がいる。せめて2人が帰国するまでは居よう。
2人が帰国するのは8月末。それまでに1年以上ありましたが、そこまでは耐えると決めました。

その間に受かる気のない国家技能検定を運で合格したり、研修生の1人に告白されるなど
色々ありました。ブログ記事で詳しく書きます。

そして、帰国する日がほぼ確定。その半年前に退職の旨を上司に伝えます。
後続として教えることになったのは最初の「現場」で私を教えていた1代上の
先輩(年下)でした。彼も研修生と同様の方法で教えました。
特に問題もなく引継ぎができました。
2018年8月末。有休消化のため退職日より少し早く私は会社を去りました。

今まで何をしていたの?

退職してから2ヶ月は車を売ったり、役所に書類を出したりなど、これからの生活のための
準備を並行しつつ稼ぎ方を調べていました。
退職する前に考えてなかったのかよ!という声が出るのもごもっとも。

この時の私は本やネットで知識を得たとき
言いたいことは分かるが、果たして自分に実現可能なのか?
ということを考えて全く実行に移していなかったです。



自分に自信がなかったのです。
何かを自分の力で成し遂げたという自己効力感が無く、一歩を踏み出せませんでした。



自己効力感を得るため私は
筋トレを始めました

「今までの自分を捨てるには?」と考えた時に自分が幼い時から持っているものを
捨てる必要があると思いました。じゃあそれは何か?
お腹の脂肪です
小学生の時から付いていた脂肪はまさに自堕落の象徴。
運動もせず家でゲームばかりしていたあの頃の自分。
自分で決めたことを完遂させることもなく今まで生きてきた自分。

これを捨てることができれば、自分は変われたといってもいいのではないか?
今まで考え10、行動0だった自分ではないと証明できるのではないか?
マイナスだったものを0に戻す作業ですが、いつか将来の自分にプラスになると信じて。

2018年12月に初めての筋トレを行い、2019年6月中旬にはマイナス12㎏を達成。
お腹にはまだまだ脂肪がついています。が、何より重要なのが、

正しい方向に努力すれば結果は付いてくる

ということを身をもって実証できたことです。


筋トレを始めた当初は、何をすればよいのか分かりませんでした。
本当に痩せられるか半信半疑でした。
すぐに結果は出ず何度も辞めようと思いました。
しかし、ここで投げ出すと今までの自分に逆戻りする。

それは嫌だ!理想の自分になる!

それだけをモチベーションにしてきました。


自分で稼ぐのも同じだと思います。
何をすればよいか分からない。
本当に稼げるのだろうか。
すぐに結果は出ない。辞めてしまおうか…。
でも、投げ出すとあの頃…会社での辛い日々に逆戻りする。


でも私は知っています。

正しい方向に努力すれば結果は付いてくる。

自由な生活を求めて私は行動します。
そしてこのブログが1人でも多くの人の人生を豊かにすることを願って。

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